人の意思決定と天秤、そして仕事の話

人の意思決定と天秤、そして仕事の話

昔から折に触れて思うのですが、人が複数の選択肢から何れかを選択する際、そのプロセスを天秤に例えると、より合理的に考えられるのではないか、と考えています。「天秤にかける」という言葉があるくらいなので、特に画期的なアイデアというわけではなく、多くの人が思いつく考えかとは思いますが。

卑近な例を挙げると、例えばとある休日、今日は1日中ゲーム三昧だと思い立ち、朝から昼飯時までゲームをしていたとします。気が付けばいい時間になっていて、一旦休憩がてら昼食を取りたいが、家にある食料はカップラーメン1つのみ。そこまで空腹というわけでもないので、それで我慢できないわけでもないが、家から10分足らずで行けるカレー屋のことを思い出し、ひとまず昼食の選択肢がカップラーメンかカレーに絞られる。

この時、カップラーメンかカレーかを決定する判断材料として、以下の要素があったとします。

  1. ゲームの続きが気になるので、昼食は手短に済ませたい
  2. 天気があまり良くないので、外に出るのが億劫だ
  3. カレー屋のランチは1,000円と、少し値が張る
  4. カレーを食べることで得られる満足度は、カップラーメンより当然高い
  5. 今日はランチを食べたときにもらえるスタンプが3倍の日だ
  6. 帰りにスーパーに寄り道すれば、ついでに夕食も調達できる(カップラーメンを食べると食料が尽きるので、いずれにしろ後で夕食を買いに行く必要がある)

1~3はカップラーメンが有利となる要素、4~6はカレーが有利となる要素ですね。ただ、それぞれの要素の重み(優先度)は人によって違いますし、同じ人でもその日の気分によって変わると思います。ちょうど遊んでいるゲームが終盤にさしかかっていて、このままぶっ続けで最後までクリアしたい場合は1の重みが増すでしょうし、どうしてもカレーが食べたい気持ちになっている場合は4の重みが増すでしょう。

そうして頭の中で無意識に分銅(各要素)を重み付けした上で、(天秤の)カップラーメンの皿とカレーの皿に分銅を乗せていき、総重量が重かった方を判断結果として採用するわけです。わかりやすく選択肢をカップラーメンとカレーの2つにしましたが、選択肢が3つ以上であっても考え方は同じです。今手元に何個の分銅があって、それぞれの重さがどれくらいなのかを考えてみると、ふと判断に迷った時にも答えを出しやすいのではないかと思います。

上に挙げた昼食のメニューの例だと、乗せる分銅が全て自分の頭の中にあって、重さも自分の中で決まっている(はず)なので、自分1人で正解を出せるのですが、こと仕事の話になってくると、そうもいかなくなってきます。分銅の重さを見誤っていたり、そもそも自分が認識できていない分銅があったりするんですね。更には、分銅を乗せる先の皿(取りうる選択肢)が見えていないことすらあります。

唐突に僕自身の仕事の話になりますが、数年前に転職して以来務めている今の会社は、以前勤めていた会社と異なり、社内のシステム投資判断について社長や役員の審議に諮る、という仕事がかなり大きなウェイトを占めています。簡単に言うと、社内のシステムに対してこういうことをするのにお金がいくらかかるから、会社のお金を使うことについて承認してほしい、ということです。前職では、社長と話す機会はおろか、間近で見たことすら数えるほどしか無かったので、(当然上長も同席しているが)直接社長にシステム投資案件の説明を行うという仕事に初めはとまどったものでした。

説明資料の作成にあたり、自分なりにストーリーを考えた上で執筆するのですが、上長のレビューを受けると山ほど指摘されるわけですね。いきなり今回の投資範囲だけの話をしても頭に入らないから、まず背景の説明を冒頭に入れないといけない。投資目的の記載がシステムに詳しい人でないと分からないため、経営目線の記載に変える必要がある、逆にここの記載は話が別の方向に脱線する可能性があるから不要、etc。。。

そうして最初作った資料をそぎ落としたり肉付けしたりしながら、上長の承認を経て社長・役員に説明するわけですが、これがなかなか苦痛でしたね・・・数年たってようやく少し理解できてきたかな、という程度です。

ここで言いたかったのは、社長や役員への説明資料のストーリー(筋道)を考えるときに、自分(担当者)が考え付くパターンと上長(レビュアー)が考え付くパターンでは、数も精度(社長の決裁が降りる確率)も全く違うということです。天秤に例えると、僕からは2つの皿(選択肢)しか見えておらず、重さがあやふやな分銅を乗せているのに対し、上長には皿が3つも4つも見えていて、より正確に分銅の重さを把握しながら、どの皿が一番重くなるか見極めているわけです。

初めの頃は、まず自分で一通り資料を作成し終えることに注力していたため、その後のレビューでの手戻りが大変なことになり、なかなか上手く進まなかったのですが、今はまず骨子の部分だけをざっと書いて、大筋を外していないかをレビューしてもらった上で、詳細な資料作成をするようにしていますね。

このような問題に直面するかどうかは仕事内容や職場環境にもよるため、誰しも当てはまるというわけでは無いと思いますが、もし「自分が作成した資料がなかなかレビュアーに承認されない!」ということでお悩みの方がいたら、「自分1人では100%の資料は作成できず、レビュアーや有識者の力が不可欠である」という前提に立って行動すれば、何かしら活路が見いだせるかもしれませんね。 


いつもはゲームやらお菓子やら、あっさりとした話題しか書いていなかったので、たまには濃いめのことを書いてみようという回でした。よくよく見返したら、前回の投稿から2か月近く間が空いていたので、ジャンル問わずもう少しコンスタントに書いていきたいですね。

投稿者:

ヌマノ

広島生まれ、千葉育ち、神奈川在住を経て埼玉に移住した30代会社員。休日はゲームに勤しんだり、街を歩いたり、美味しい食事を求めたりする日々を過ごしています。

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