京極夏彦の「塗仏の宴」を再び読んだので感想を語ってみる(ネタバレあり)

京極夏彦の「塗仏の宴」を再び読んだので感想を語ってみる(ネタバレあり)

京極夏彦先生の「百鬼夜行」シリーズを読んでみた件、ついに6作目の「塗仏の宴」まで来ました。ようやく折り返した感があります。12月初には読み終わっていましたが、年末忙しかったので記事を上げる前に先に年が明けてしまいました。

僕は百鬼夜行シリーズを分冊文庫版で購入していたので、いわゆる「鈍器」と呼ばれる異様に分厚い文庫ではなく、同じくらいのページ数ごとに分冊されているのですが、冊数は回を増していくごとに増えていきます。1作目の姑獲鳥の夏は2冊ですが、2作目(魍魎の匣):3冊、3作目(狂骨の夢):3冊、4作目(鉄鼠の檻):4冊、5作目(絡新婦の理):4冊、と着実に増えていき、ついに本作では一気に6冊になります。急に2冊分増えた!

また、前編(宴の支度)と後編(宴の始末)で3冊ずつに分かれているので、感想もそれぞれ分けたいなと。

■前編(宴の支度)

関口、壊れる――。まさにそんな出だしです。前作ではほぼ出番が無かった分、飛ばしてますね(笑)

奥地にある村で発生し、そしてなかったことにされた惨殺事件、その地を巡って暗躍する怪しい連中と、とかくスケールが大きいです。新興宗教、催眠術師、眠らせて洗脳してくる薬屋など色んな勢力が跋扈しており、登場人物の胡散臭さでは史上最高です。本作を読んで改めて感じましたが、本シリーズは肉体系(物理系)より精神系の方が強い世界観ですよね。まぁ主人公である京極堂が精神系の最たるキャラなので、それはそうか。

あと、感想を語る上で外せないのは前作(絡新婦の理)から引き続き登場するあの女性です。「再び読んだ」と言いつつ前に読んだのが10年以上前なので、細かいストーリーはほとんど忘れてしまっていたのですが、本作であの人が再登場し、そして退場する展開になったのは結構印象深かったので、そこははっきり覚えてました。

思えば、ある意味犯人ポジの人が続編でも登場するのは珍しいですが、ここで退場させるところまで織り込み済みだったのか、それとも強すぎて扱いに困った挙句の策だったのか、メタ的な目線では気になるところです。結構好きなキャラだったのでショックですよ(´;ω;`)

本シリーズでは結構あることですが、サイレントで時系列が変わりながら、時折関口が尋問されるパートが差し込まれるので、いったい何の嫌疑で捕まっているのか分からないまま読んでいきましたが、前編の最後のところで、そういうことだったのか!と驚きを隠せませんでした。(我ながら察しが悪い・・・)

■後編(宴の始末)

舞台は15年前に惨殺事件が起きた村へ・・・。色んな勢力が争いながら村を目指して行く様が、まるで妖怪たちの宴のようです。

そして現れる本シリーズのラスボス・・・ラスボス?勝手にあの人をラスボスと思っているんだけど、一体どうなんでしょう。百鬼夜行シリーズに終わりがあるのかはよく分かってませんが、巷説百物語が綺麗に完結していたので、本シリーズもいずれ大団円を迎えるのかなと想像しています。

それにしても本作では、いつにも増して京極堂の腰が重いですよね。事件らしい事件は起きてないじゃないかと主張していましたがだいぶ無理があるかと・・・鳥口が不満を覚えるのも分かります(笑)

しかし冷静に見ると、本シリーズのトリックや真相の肝になる部分って、ミステリとしては掟破りギリギリだったり荒唐無稽のように思えるところもありますが、京極堂の蘊蓄パートの中で、モチーフとなっている妖怪や物語に関連する民俗学・宗教学への解説が行われることで、読者に対してヒントを与えていると同時に、真相の予告というか心の準備を持たせているのが上手いところだなと感じます。これがあることで、真相への納得感があるというか。そういう意味だと、読者も本シリーズを通じて、憑き物落としのプロセスを体験しているのかもしれませんね。

投稿者:

ヌマノ

広島生まれ、千葉育ち、神奈川在住を経て埼玉に移住したアラフォー会社員。休日はゲームに勤しんだり、街を歩いたり、美味しい食事を求めたりする日々を過ごしています。

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