京極夏彦の「鉄鼠の檻」を再び読んだので感想を語ってみる(ネタバレあり)
ここ最近、京極夏彦先生の「百鬼夜行」シリーズを読み進めており、4作目の「鉄鼠の檻」まで読み終わったので、今回も大きくネタバレしない範囲で感想を語っていきたいと思います。
なお、2作目の「魍魎の匣」の感想を書き終わるのが遅かったため、3作目の「狂骨の夢」の感想回は無しです。「狂骨の夢」は、2作目で散々な目に遭った石井警部の奮闘が見どころですよ!
■百鬼夜行シリーズについて
前回、本シリーズの基本設定について全く触れていなかったことに後で気づいたので、今更ですが冒頭で説明をば。本シリーズは、古本屋・神主・憑き物落としの3つの顔を持つ中禅寺秋彦を探偵役、中禅寺の学生時代からの友人である小説家の関口巽を主な語り手とした、広義の探偵小説になっています。(※中禅寺秋彦が営む古本屋の屋号が「京極堂」であることから、作中では中禅寺は周りから京極堂と呼ばれることが多いので、以降はそのように呼称します)
あくまで主観で「広義の」と付けましたが、いわゆる推理小説の条件(ノックスの十戒?)を満たしているのか微妙な展開がそれなりにあるのと、何より京極堂が事件の現場に赴く目的が真相の究明ではなく憑き物落としであるため、振る舞いが探偵とは大きく異なるからです。しかも憑き物を落とすだけでなく、たまに呪いかけたりもしてるからね(笑)
普通ではあり得ないような事件が発生し、解決のめどが立たなくなった時に、京極堂が憑き物落としとして参上し、関係者の妄念や思い込みを祓うことで事件の解決・収束を図っていくのですが、各話で起きる事件が、タイトルにもなっている妖怪に見立てられているのも本シリーズの大きな特徴になっています。
■「鉄鼠の檻」の感想
本作は、誰にも存在を知られていなかった、箱根の山奥にある「明慧寺」を舞台とし、たまたま箱根を訪れることになった関口や京極堂たちが、明慧寺で務めている仏僧の連続殺人事件に巻き込まれていきます。普通の社会のルールではなく、仏僧たちのルールで支配されている明慧寺がまるでクローズドサークルのように描かれており、一般人が考える常識が一切通じない不気味さと、何故殺人が起きるのか全く見当がつかない理不尽感が読者にプレッシャーを与えてきます。
本シリーズの3作目までは、基本的に京極堂の家という安心できる場所があり、そこから事件現場に赴くという形でしたが、本作は旅先で異界に迷い込んだようなシチュエーションになっており、自分たちにも害が及ぶかもしれぬという緊張感が読んでて非常に面白かったです。
一番心に残っているのは、クライマックスの衝撃的なあのシーンかなぁ。関口と一緒に「う、うわああああ」と心の中で悲鳴をあげてしまったよね。是非自分の目で確かめてみてくれ!
また、作中では仏教の禅に関する専門用語や歴史が多分に語られているのですが、僕のように仏教を含めた宗教学の素養が無い人からすると、本来かなり取っつきづらい内容だと思うんですよね。それらを単なるスパイスではなく物語の根幹に据えつつ、エンターテイメント作品として成立させているのが、他に類を見ない作品だなあと感じました。僕の貧弱な読書歴でいうと、他に思いつくのは仏教じゃなくてキリスト教をテーマにした小説になってしまいますが、「ダヴィンチ・コード」くらいかな。あれも面白かったです。
■本シリーズのメディアミックスについて
作中で、1作目の「姑獲鳥の夏」で登場した人物や出来事が一部関連していたので、復習がてらコミックス版の「姑獲鳥の夏」を読んじゃいました(だいぶ前にKindleで購入済みでした!)。コミックス版は結構読みやすいから敷居は低いし、ストーリーを確認するのにも手っ取り早くて良いですね。
しかし、アニメや実写化となると、本シリーズはとことん相性が悪いと思うんだよなぁ。京極堂の蘊蓄パートの再現が難しいのと、語り手(主に関口)の不安定な内面描写の再現が難しいというのが主な理由ですが、「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」は映画化されているのよね。。よく作ったわね(笑)
漫画は視覚的な要素と文字による情報を共存させられるので、蘊蓄パートも比較的そのまま乗せやすく、ライトに本シリーズを楽しみたい人は、コミックス版も結構良いと思います。
ちなみに、たまたまネットニュースを見て知ったのですが、本シリーズのスピンオフコミックである「中禅寺先生物怪講義録 先生が謎を解いてしまうから。」が来年アニメ化されるらしいですね。
元々漫画を前提に作られた作品であれば、本編(小説)のアニメ化より表現上のハードルは比較的低そうなので、ちょっとこれは見てみたいかも。そもそもスピンオフの漫画があることも知らなかったので、そちらを先に読むのもよいですが、まずは本編を読み切ってからやね。。。
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